2018年6月23日土曜日

武蔵野うどん


ラーメンが国民食になる前から、日本には蕎麦、うどんという素晴らしい麺文化がありました。ブームというにはあまりに日常で、ブームと捉えるのも気恥ずかしいくらいにそれは普段の食卓でした。まだ私が幼稚園、小学生のころ、父方の祖父の実家、埼玉の毛呂に墓参りに行くたび、本家の叔母さんたちが食べきれないほどのうどんを出してきて、いっぱい食べろと勧めてくれたのを懐かしく思い出します。ごわごわ、もちもちしていて、不揃いで。あれが《武蔵野うどん》との出会いだったのです。

今、武蔵野うどんはご当地グルメの一つとして盛り上がってます。多摩、埼玉の地の粉を使用した、基本、盛りうどん。肉汁につけるのも名物です。何度か訪れている《みんなのうどんや》も名店の一つ。西武池袋線清瀬駅から1キロの住宅地にあります。地元の人が天婦羅だけ買いに来るような、地域密着のうどんやさんです。少食になってしまった私は、女性標準の4玉(男性は5玉)+ちくわ天(名物のかき揚げは正午で完売)をいただきました。つけ汁のお出汁を一口、これが旨い。素朴なうどんも勿論美味です。でも、うどん数本残してしまいました。たぶん現在の胃ではミニの3玉が正解だったかも。美味しいのでついつい欲張ってしまいます。大満足のお昼でした!
肉汁うどん4玉+ちくわ天

2018年6月13日水曜日

テオドール・デュボア


私の趣味のひとつがCDの収集です。もはや生涯に聴けないだろう量を買い込み、今なお増え続けています。とても愚かです。収集癖は昔から。記憶しているだけでも、シール、貝殻、ミニカー、切符、切手、鉄道模型…エトセトラ。切手と鉄道模型は押入れの奥に収蔵されていますが、それ以外はたぶん親が処分したのでしょう。どうなったか定かではありません。

そして最後に始まった収集が、クラシック音楽の音盤(最初はレコード)でした。父親が音楽教師だったため、家にあったクラシックのレコードを聴いたのがスタートでした。幼稚園の頃に、フルトヴェングラーの第九をかけて、スピーカーに向かって指揮していたのを記憶しています。

初めて自分のために買ってもらったのが、サン・サーンスの「動物の謝肉祭」。たしか、アーサー・フィードらーの演奏でした。自分で買った初めてのレコードは、マリーの「金婚式」とワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ」。いずれもいわゆるドーナツ盤でした。最初に買ってもらったオペラ全曲盤は、ポンキエルリの「ラ・ジョコンダ」。マリア・カラスの主唱でLP3枚組。我ながら渋いファースト・チョイスです。
クラシック音楽なら、シンフォニー、室内楽、声楽問わず雑食の私は、未知の作曲家、作品にも興味があります。本日ご紹介するのは、フランスの作曲家、テオドール・デュボア(18371924)。パリ音楽院で、オペラ「ミニョン」を作曲したアンブロワーズ・トマに師事し、自らも後に同院長となってポール・デュカスやフローラン・シュミットを育てました。私の聴いたのは、Mirareレーベルから出ている、ピアノとチェロをメインにした協奏曲集です。いずれも規模の大きな作品ではありませんが、メロディックで熱量が高く、フランスらしい典雅さも備えています。ベルリオーズほどの革新性はありませんが、派手めなフランス管弦楽がお好きな方なら、ぜひ一聴を。マルク・コッペイのチェロは聴きものです。
隠れた名盤を探す愉しみ

2018年6月10日日曜日

horserace


私の趣味のひとつが競馬です。のめりこむほどはやりません。GⅠ級があると、ガレリア座の稽古途中でも無理矢理、休憩にしてラジオを聞く程度です。座の稽古が週末になるため、府中や中山に行くのは難しい。なので、先日、ウィークデイの大井競馬場ナイターを楽しみました。第1レースの発走は午後3時ころ。まだお日さまが高いうちに、立会川駅から競馬場に向かいます。近づくと馬のにおいが…たまりません。興奮した馬のように“入れ込む”感じで、気合はMAX!今どきの競馬場はギャンブルというより、さながらテーマパークのよう。とってもきれいで、ショップもフードも充実しています。でもやっぱり競馬ですから、当てなくちゃ!この日の私の戦績は12戦7勝。しかもそのうち6勝が3連単。よほど儲けたと思うでしょう。そこがギャンブルの難しさ。結果はほんの少しだけ都に税金を納めて終わりました。次こそ勝つぞ!!
馬も私も気合が入ります!

迫力のゴール板前!でもこの競争、外しました!

2018年6月8日金曜日

アンドレア・バッティストーニのショスタコーヴィチ


40代前半までかなりの数のコンサートに通いました。休みの日などは、マチネで東京芸術劇場、ソワレでサントリーホールとか、平気でした。一流の芸術家たちと同じ空間、時間を共有する贅沢を堪能しました。仕事やガレリア座の活動が忙しくなり、気力や体力も限りがきて、いつの間にかホール通いの習慣がなくなりました。実演に接する機会が、極端に減っていきました。いや、正直に言えば、すごい演奏家を十分に聴いたので、なかなかそれ以上の感動が得られなくなってしまったのです。
バーンスタイン/イスラエル・フィルのマーラー9番。クライバー/バイエルン国立歌劇場の「ばらの騎士」。アバド/ウィーン国立歌劇場の「ランスへの旅」。
カラヤン/ベルリン・フィル、ホロヴィッツ、チェルカスキー、パヴァロッティ、最盛期のグルベローヴァやノーマン、カール・デンヒ監督時代のウィーン・フォルクスオーパー、ゲルギエフが立ち上げたサンクトペテルブルク白夜祭。
まだまだ挙げればきりがありません。本当に楽しい日々でした。

でも、ここにきて、とてつもない音楽をする刺激的な芸術家が現れました。指揮者のアンドレア・バッティストーニです。まだ30歳というこのイタリアの若者、いったいどうやって音楽性を身につけたのか。私は彼に心酔しました。十数年ぶりに東京フィルの定期会員にも復活し、コンサート・ゴアーズに返り咲きを果たしました。もし、まだ彼を聞いたことがなければ、ぜひ一度、聞いてほしい。
私が注目したいのは彼の作り出す静寂です。
5月31日のサントリーホール定期は圧巻でした。曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲と交響曲第5番「革命」。両曲の第3楽章が、この夜の白眉でした。どこまでも静かで、冷たく、そして恐ろしい。極北の海、闇の中、生命が音もなく消えて呑み込まれていくような、底なしの怖さ。躍動的なスコアの凄さが強調されがちなマエストロの真の力量がここにあるのです。

今年、マエストロを聴く機会がたくさんあります。オペラも「メフィストーフェレ」「アイーダ」と、2本も体験できます。海外の有力エージェントが彼に興味を持っているので、日本国内で彼を聴く幸せがあと何度あるのか、私は心配です。
演奏会は一期一会。感動を味わえるのは、わずか二千人弱の聴衆だけ。私は通い詰めます。
マエストロ・バッティストーニ

2018年6月4日月曜日

こうもり終えて


今回の公演がたいへんなことはわかっていました。文化の異なる団体が、がっぷり四つに組んで作品を作ることの難しさ。刺激を受けるにせよ、苦労するにせよ、ぬるま湯のように舞台を作るよりは。そして、私たちの手法が間違っていなかったかを検証する意味でも。

ガレリア座は通常の公演で、舞台を三日、押さえます。仕込みとリハーサルと本番と。でも今回は、本番前日の夜、4時間だけの仕込み。そして本番日の朝からリハーサル。直しをする暇はなく、続けざまに本番に突入しました。この無謀なスケジュールに私たちは敢然と挑み、そして確かな成果を残しました。これは、ガレリア座が20年以上かけて培ったノウハウと人材と人脈による勝利です。この場を借りて、座員のみなさん、スタッフのみなさんに御礼です。私の酷い決断についてきてくれてありがとう。

今回ご一緒した日本ヨハン・シュトラウス協会管弦楽団の方々には、稽古中の私の言動が相当きつかったと思います。「あの人、怖い」って、聞こえてました。そう感じられたはずです。ガレリア座ではいつものことですけどね。座員に言わせれば、八木原、ずいぶん我慢したって。でも、最後、本番直前には、オケにも、プレイヤー名指しで怒鳴りました。私の大好きな音楽を、舞台を、妥協したまま、腹に収めたまま本番に臨むことはどうしてもできなかった。だから、今回は演出家としてのポジションには、あまり立てませんでした。正直、詰め切れなかった。お客様、ごめんなさい。水準に持っていくために、プロデューサーとしての立場に必死でした。

正直、きつかった。それでも異文化交流は楽しい。打上げで、シュトラウス管の人の素顔や、思いを知ることができました。アマチュア音楽家の先輩たちの後ろ姿を追いかけていきます。指揮者の鷲見先生の情熱にも頭が下がりました。まだまだ私も若僧。やることは沢山ありそうです。
さあ、次は「小鳥売り」。黄金期のオペレッタを続けて上演できる幸せに浸ります!
「こうもり」から「小鳥売り」へ